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メディア異聞−−馬耳東風
 このコーナーでは、私自身が日常生活の中で感じること、考えていることを短いエッセイとして発言していきます。多少硬い話から流行の事物まで、個人の見方ですから一人よがりは免れないと思いますが、話題の広がりを画せればと思います。ヒントになるようなご意見がありましたら、ぜひお寄せください。またこれまでの「馬耳東風」及び、以前コーナーとしてありました「近事片々」「マスコミニュースの裏の裏」は、BACKNUMBERとしてご覧頂くことができます。
NEW 「美しい日本の私」  2006/01/15
大いに共感した
阿久悠氏の嘆き


 個人的な感想になるが、私は日本という国と日本人は、ここ40年ほどですっかり変わってしまったと思っている。もちろん、いい意味にではない。昭和40年代の初めから続いた高度成長は、根こそぎ日本の文化と"美点"を奪い去ったように思えて、非常に哀しい思いがする。

  声高にそう叫ぶ人も少ないものだから、「こうした思いは私だけではないハズ」と思っていたら、昨年末の12月24日、クリスマスイブの産経新聞朝刊で作家・作詞家の阿久悠さんのエッセイ「阿久悠書く言う」を読んで、「これだ!」とばかり快哉を叫び、意を強くした。

  ここで阿久さんは冒頭、日本人は「何もかも、美点も特性もすっかり殺(そ)ぎ落として、厭になるほど変わってしまった」と書いている。理由はいうまでもないだろう。同じ文章の中で阿久さんは続けて言う。「美しい人を見なくなった。正しい人も、潔い人も、清廉な人も、やさしく、にこやかな、勤勉な人さえいなくなった。……」。本当にそうなのではないかなぁ。彼が嘆じている「よその国のことは知らないが、それでもこんなに、言い換えれば無残なほどに変質した国民も珍しいのではないだろうか」との思いは、全く私と同じものと断じていい。

  阿久さんの批評の矛先は、ハリウッド映画の芸者役に当の日本人が選ばれなかったり、国技である相撲にまで外国人の活躍が目立つという現実にも及んでいる。もちろん、その事実を直接に批判しているのではなく、むしろ日本人の"美"は今や外国人の方が多く体現しているだろうとの思いが、理由との但し書きも言い添えている。これにも私は同感だ。結論部分の締めも非常に面白い。こうした中で、1つだけ復活した、日本の伝統があるという。

  それはテレビのワイドショーやバラエティ番組の構図だとのこと。そう、それはかつて御大尽さまが遊郭などで行った「お座敷遊び」と同じ図(風景)なのだ。一座の中心に大尽や大名が並び、周りの幇間や取り巻きがヤンヤとはやしたてている構図。どこか、今のテレビ番組に似ていますなぁ〜。「なるほど」と私は感心しきりだった。そして、こうした光景も「お座敷はにぎやかで楽しそうだが、外の見物人にとってはちっとも面白くない」(同文)のである。謂い得て妙だろう。

美しい日本から
醜い国への大転換


 今年の正月1日とちょうど1週間後の日曜日(8日)に、NHKで「カラー映像でよみがえる昭和初期の日本」という番組をやっていた。戦前の素封家が撮りおいていたカラーフィルムを中心にした前編と、アメリカの戦争フィルム等を中心にした後編で構成。教えられるところが多かった。

  特に民間人が撮った戦前の日本――銀座や神田界隈、さらに地方の田園風景を見るにつけ、自分が見たわけではない姿ではあっても、ある種の感動がよみがえってくる。

  実に美しい国だったのだな、とその時真剣に思えた。確かに番組ナレーションでも一部言及していたように、日本は豊かな国ではなかった。ただ、貧しい国ではあったけれど、街行く人、農村で働く人たちの表情の、何と生き生きとしていたことだろうか。

  とりわけ日本を気に入り住み着いたという、アメリカ人ジャーナリストのフランシス・ライン氏の撮った都会や都市近郊の風景、一方で米被爆調査隊の写真撮影も手伝ったという、カメラマン三村明氏の写した川べりの桜の光景には、思わず息を呑んだ。「何という美しさなのだろう――」。昨今のように花見の演出まで、すっかり商業ベースにはまっている現実とは一線を画しているように思える。私は自分の知らない、遥か昔を偲んでいた。

  よく「戦前は暗黒の時代だった」などという人がいるが、それはウソだろう。誤解を恐れないで言えば、人間は、私たち日本人も大戦中であってさえも、どこか生活を楽しんだ部分もあったのではないだろうか(もちろん、一部ではあるだろうが)。

  それにしても、太平洋戦争の不条理さを思った。これだけの大量殺戮、非戦闘員に対する無差別攻撃は歴史上類例を見ないものだ。現在の豊かな繁栄の代償となったこの事実に、われわれ日本人はもっと目を向けた方がいい。一方で、これだけの犠牲を払いながら、私たちは何を手に入れたというのだろう。先の阿久悠さんも書いている。「ぼくらは、いや日本人は、一体何と引き換えにして現在の卑しさと無作法を手に入れたのだろうか」と。私も、これ以上の思いを持ち合わせるものではない。

  最後になるが、この文章のタイトルは、かの文豪・川端康成氏が1968年(昭和43年)に日本人として初めてのノーベル文学賞を取り、スウェーデンで記念講演を行ったときのテーマを拝借した。川端先生の思いをどうこうというのではないが、先生もまた、日本人の心性にある種の懸念を抱き、この国の行く末を心配していたに違いない。同じ耽美主義的な作家だった三島由紀夫氏などと同様、生きておられたら何を思うのだろうか。改めて聞いてみたい気もする。(平成18年正月10日 記)

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